🇯🇵現代アートで気付かされた生きるうえで大切なこと

東京現代美術館へ。

「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」


4人のアーティストによる、言葉や映像などの作品を通してこのテーマに対して表現されていた。


この展示会で特に印象に残ったことは、工藤春香さんの作品によるこの言葉。

「あなたの見ている風景を私は見ることはできない。

 私の見ている風景をあなたは見ることはできない。

お互いの風景を見ることができないとい点で私たちは一緒だ。」


相模原で起こった障害者殺人事件のことを題材にリサーチを重ねた作品である。


誰かと似たような状況にあろうが、同じものを見ていようが、

みんなが同じように捉えるわけではないし、感じるわけではない。

ついつい自分の中の似たような経験で誰かの悩みや苦しみを解決してあげようと

してしまうことがあるかもしれないけれど、それはただの自己満でしかない。

だって、私たちはみんな違う人間だから。そもそも前提として相手が見ているものを見ることはできない。


そのうえで、互いに歩み寄ることしかできないんだと。


「苦悩という情物は、それについて明晰判明したとたん、苦悩であることをやめる」

という高川和也さんの作品。

私もこれまで、結局自分の悩みなんて他人に話したところで理解されないんだから自分で解決するしかないと1人で言葉にせず抱え込むことが多かった。

でも、その悩みについて1人で明晰判明できないこともある。

自分の中から外に出した途端に何かすっきりするものがある。


アウシュビッツ強制収容所ではあの悲惨な場所で生き延びた人たちは数少ない。

彼らはどうして生き延びることができたのか?

そして中には、アウシュビッツ強制収容所で自らその場を案内するツアーガイドをやっていた人もいるくらいだ。

それは、「自分の中の苦しいものを自分の外に出してその状況を俯瞰することで気持ちを保つことができた」からだ。


誰しも悩むことはある。ただ他人に迷惑をかけるからとか、その苦悩から逃げるのではなくしっかりと向き合い、受け入れ外に出せた瞬間に自分のものでなくなる。


今回の展示会は、また改めて生きるうえで大切な何かに気づかせてもらった。





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